「神奈核・過去」 長谷川 武 |
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研究会の発会は、昭和44年7月11日の第1回研究会の開催からです。当時は、横浜市立大学病院、日本鋼管病院、川崎市立川崎病院、警友病院、関東労災病院、横浜市民病院、神奈川県立成人病センター、東横病院などの10施設ほどが参加した研究会でした。 研究会の発足の主旨は、@核医学診療の情報交換 A核医学技術の研鑚 B医師・技師・薬剤師の合同臨床研究会 C放射性同位元素の知識と情報の確保 D診療報酬への対応 などを目標にした同好研究会でした。いわゆる、40年前期の5年間最も多くのRI施設を擁する県として、医師、RI技術者、検査技師、薬品メーカー、RI器材製造技術者などの切磋琢磨を願ったものでした。 研究会発足時代における核医学の臨床は、 |
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In vivo | Renogram
Thyroid
uptake 試料測定検査 フィロカイネティクス シリングテスト 循環血液量 Red Cell Survival Study Platered Survival Study Scintigraphy |
In vitro | T3,T4 インスリン 鉄結合能 α-fet 成長ホルモン など |
機器 | Scinti Scanner Well Counter |
当時(昭和47年)の検査頻度は、肝臓(34.2%)、甲状腺(21.1%)、脳(12.4%)でした。 Scannerの時代でしたので、3inchφ、5inchφのsingleまたはdoubleで行っていました。等感度スキャン・リニアスキャン・断層スキャンが、工夫されて利用されていた頃です。 当時の核医学への期待は、Gamma Cameraの登場でした。国立府の台病院に東芝γcameraが導入されたのが昭和44年頃です。また、Tl-201chloride、Mo-Tcジェネレーター、Tc標識化合物や腫瘍マーカー(CEA、AFP)もこの頃登場しました。 短半減期核種、核医学機器の開発と共に、核医学検査のプロトコールの標準化や機器の性能評価の問題、そして人材の育成や規制緩和など、多岐の宿題を秘めて、神奈川核医学研究会が活動をはじめました。 |